新・自然遊悠学

yuuyuugaku.exblog.jp
ブログトップ

カテゴリ:自然遊悠学論( 12 )


2016年 01月 11日

1353 新・自然遊悠学憲法

 第一条
 病気にならない

 第二条
 山を知る

 第三条
 三つの季節確立

 第四条
 新たなる挑戦

 第五条
 己を理解

 第六条
 無理なく、のんびり、気まぐれ、道草生活

 第七条
 信じるは我にあり

 第八条
 やさしい道より困難戦法

 第九条
 未来志向、夢実現

 今日から新憲法発布された。これらは自主憲法ながら、自然遊悠学精神を継承し、これから実施するあらゆる生活スケジュールの骨子となる。まあ簡単に言えば、自分の能力以外はやらない。決められた我が歩む道をまっしぐらに進行させることである。

 お知らせ
 携帯電話 090-9018 -3118
 常時不携帯、電源オフ、メール、留守番電話再生はやりません。自然遊悠学非常事態にしか使用しませ   ん。ご了解ください。
[PR]

by yuuyuugaku-ueno | 2016-01-11 14:41 | 自然遊悠学論
2015年 12月 29日

1340 単独行

 山へ行く方法。この行動に対して、単独で行く場合とパーティーを組んで行く二手の手段がある。いずれも短所長所があって、安全帰環を最優先しなければいけない。若かりしころ、「山で死ねたらそれも良かろう。」と、こんな志向があったが、年月が経過するいちに、「命の大切さを知る。」それは生きている間、自分で考えた8000種植物群の中で、日本に自生している山地植物ぐらいは目が黒いうちに、できるだけ拝見してみたいと願いをこめた、ひとつの理由があったからだ。未だ見ぬ野生植物がどこにどのような姿で、植物種をこの世に継続している様に、かなりのめりこんだ興味魅力を抱き続けて今日に至る。山地植物探索であれば、単独行動が手っ取り早い。大方、植物名を知るには「花の開花時期」と相場は決まっている。そこで実際に行動する際、友人知人との同行もよかろうが、彼らの休日は定休日なるものが存在し、人の都合日程に合わせなければいけない。しかし、それより一人での暇な時期を瞬時に決定できることを優先している。以下は同行者との山行きで、失望した経験を披露する。

 一時、野生ランブームのころ、仲間3名できのこ狩りの最中、ラン開花はすでに終了していたが、葉しかないものの自分のラン知識であれば、たやすくラン名を即座に判断できた。「この花は貴重なランだから大切にしている。」こんなことを友人に言ったことを記憶している。それから数年後、友人宅に御用があって立ち寄り、なんとなく庭を眺めたら、あの野生ランが飛び込んできた。それもかなりまとまったらんが6月ゆえに咲き誇っていたではないか。自分は言葉を失い落胆してしまう。1歩2本なら許すと徒が出来よう。ラン野性自生地の全部を盗掘した事実がここにあった。当然、採集された場所に春になれば逞しく咲いている欄の姿は皆無であった。それ以来、問題の友人とは決別し、特別な理由がない限り、高山植物ウオッチングでは単独行動と決め込んでいる。

 花同様、山菜、きのこ、イワナでもあの痛ましい事件以来、単独行を心がけている。それは度重なる裏切り行為に手を焼いた結果そうなった。知人に山狩りを教えれば、良かろういい思い出が脳裏にインプットされ、記憶を受け継ぎ、山の掟違反を日常茶番劇のごとく、山を荒らされた経験が多々あった。せめて一言、山狩り日を知らせてくれればよかろ。それもやらないで勝手に行ってしまえば、山狩り日が自分と重なり、バツ悪そうないやな出会いもあるのだ。いずれにしても自分の遊び場は自分だけの秘密の山狩りがあって、誰も知らない誰とも行き会わない、そんな場所へたった一人で自然遊悠学をやってみれば、たとえようもない快感を享受する喜びが単独行には存在する。
[PR]

by yuuyuugaku-ueno | 2015-12-29 12:16 | 自然遊悠学論
2015年 12月 28日

1339 見解遊悠学

 見解ということを自分なりに解釈すれば、事物を自らの目で眺めながら、そのものの本質正体を解き明かすことを意味する。一般には見聞録としてみたり聞いたりした事柄を記録した資料がある。しかし見たことと聞いた話しでは天と地の差位を生ずる。自分の知らない知識を他人様に聞き及んだ知識を丸吞みしてしまう場合、とんでもない勘違いで自分の脳裏に刻み込まれ、時に大恥を招くことが多々ある。

 他人を信じる、それは他人に知識であり、自ら得た知識ではない。現在、自分もパソコンを持っている。コンピューターという巨大頭脳を一台有していさえすれば、何事へも素早く反応して知識を見聞できる、検索という便利な謎解き入り口を知りえることが出来る。しかしながらパソコン知恵とて、所詮、他人の見聞であり、そのものがすべて信用できるのかという、いささかな疑問がある。

 信じることができる知、それは自分で自然事象を見参しながら、事物の正体を謎解き解析すること。

 「信用できる情報は他人様へ依存せず。」これがここまでたった一人で自然遊悠学という学問を切り開いた、見解遊悠学なる取り組みの骨子一環だった。単身であるゆえ、ひとつのテーマにかなりのロスと繰り返しが重なり、ものの解明には時間が要することになる。それでも長い年数年月をついやすれば自然知を自分のものにすることが可能だ。しかし、知り得た知識とて、ある日ある時の出来事でもって、一瞬の間に知り得た知識が葬られてしまうことがあって、知の解明は複雑怪奇、大願成就への道は遥か遠いもので、それは幾つもあるひとつの一里塚のごとく、幻の里程標にすぎないから厄介なのである。

 岩魚みち、未だ山腹なり

 人生70年、単身でイワナという渓魚を追いかけていたが、「日本全土イワナ止めを見る」50年前の目標達成はならず、今だに初心に掲げた夢の実現は出来ないでいる。日本列島は長く広く、体力、軍資金がこれから課題となり、思うようには事が進行してない。けれども、自分の余命は今後、10年以上はあると信じている。気ままにのんびり山釣りイワナを実施すれば、いつかある日、目的地到着を果たすことができるかもしれない。

 
[PR]

by yuuyuugaku-ueno | 2015-12-28 11:09 | 自然遊悠学論
2015年 11月 16日

1299 アウトドアライフ

 山菜1回、山釣りイワナ4回、きのこ4回と2016年度自然遊悠学プログラム骨子は固まり、すべて実施できれば、自分の拘束日数は15日。個人私用50日。1年の残り日数はおよそ300日間、この時間を自由に使うことが出来て、大半を野外活動に費やすことが可能だ。2015年度におけるここまでのアウトドアは数えたことはないが、200日を下回ることはない。やたらめたら日数だけノルマを貸せても、さほど成長したとはいえない。問題の内容がなければ時間だけかけたとしても、ほめられたことにはならない。他人から後ろ指を指されないように専門分野をひたすら励むことを自然遊悠学は求め実行している。

 人が歩む道の多様に驚かされることがある。10年振りあるいは20年振りでかつての友人に出会うことがある。その際、同一趣味内容を一言二言会話を混ぜ合わせれば、その人のこれまでやってきた人生観を見抜くことが自分にはできる。あるとき渓流釣りを一緒にやったことがある友達と再会できた。会話は当然イワナ話題になる。そのなかでかれこれ30年にはやったイワナ釣法があって、古い友人はそのとき流行した釣り方を今までかたくなに守っていた。ある意味では立派な行動、ある意味では進歩なし。相容れない両者のどちらかを支持するのか、それは人それぞれであろう。

 今年から1年間を3等分、4カ月単位で明確に区きり、1月2月3月12月を体力維持期間。4月5月6月7月は山釣りイワナ。8月9月10月11月のきのこ。と、特別な理由がない限りこのアウトドアスタイルを踏襲させた。結果は予想以上に成果生んで、今年決めたスケジュールをある程度納得できる内容で、、シーズンの幕を下ろそうとしている。2016年、そのまま今年の計画で野外活動をやるつもりでいる。

 物事を進行させるとき、必ず実行途中の分岐点がある。右に行くか左に行くか。それぞれ右ルートあるいは左ルート歩む道は大きく異なる。年齢が高齢化すれば、分かれ道選択での行動は安易なルートを選んで決めてしまうことが多い。若いころであればあえて難しい道を歩いた。年齢が重むと妥協に妥協してしまう。それで楽なルートを歩いてしまう。今年このことで何度も失敗した。そこで次年度からあえて困難ルートをもってアウトドアを実行してみたいと願っている。甘い行動では結果内容の低下は否めない。若かりし時代の自分自身に近寄るために、更なる精進を重ねながら自分に納得できるアウトドアを楽しんでみたい。

 2016年、自然遊悠学主フィールドである地元を固めながら、奥会津、越後、東北までマイカーを走り抜けたい
[PR]

by yuuyuugaku-ueno | 2015-11-16 09:22 | 自然遊悠学論
2015年 11月 15日

1298 ビジョン

 月めくるカレンダーは残り1枚になった。来る冬季に備えた防寒対策をどうにかこうにか実施しているが、まだ完全装備には程遠い。昨日から今日にかけてまとまった降雨が木々の落葉に拍車をかけている。10月から11月にかけて、例年にない少雨の影響があり、期待していた秋きのこ不作に見舞われ、きのこファンを落胆させた結果を生む。
 きのこ狩り本番を迎えた9月、ここまで順調に推移していたきのこ事情を一変させたのが、9月10日の集中豪雨だ。記録的豪雨を誰一人予告できず、関東東北に多大な自然崩壊を招く。「こんな大雨記憶にない。」と90歳を過ぎた古老は嘆く。100年に一度の降雨は過疎化進行地域に深刻な社会問題を世に呈している。
 自然遊悠学プログラム、それは次年度短期スケジュール、中期ビジョンである2016年から2020年に至る5年間、さらに今から10年後に及ぶ長期ビジョンとそれなりの準備はひそかにやっている。しかし、5年後ぐらいはめどをつけられることも可能であろうものの、それ以降はだいぶ怪しくなるのも年齢的に事実だ。今のところこの間死んでしまう予定はない。いくら自分で死なない工夫を凝らすも、閻魔大王に呼び出されてしまえば、一環の終わり。そんなことは後回しになることを願って止まない。

 コンビにない。
 ガソリンスタンドない。
 スパーない。
 医者いない。
 文化人いない。
 ないない尽くし限界集落下野北部三依に居を構えて10年余、たった一つ自慢できた中三依温泉センター廃湯、これで都市部からの客寄せ手段は失われた。それでも貧乏村だったおかげで、スギやヒノキ植林地は半分程度に限られ、かろうじてコナラ林は残った。けれども自然遊悠学推薦フィールドの原生林はない。ここでは森を後世に残存させる知識人皆無だったこともあり、自然破壊である原始林伐採阻止運動は実施されなかった。お気に入り森林がないから自然遊悠学プログラム実施する山菜場、山釣りイワナ場、きのこ場、自然探訪場を塩原あるいは奥会津まで足を運ばなければ希望はかなえられない。

 以上の事象を考慮した場合、ここまで3年間頑張って活躍してくれたポンコツマイカーを引退させることの決めた。遊び場の遠地がその理由だ。特に山釣りイワナにおけるネグラの問題が大きい。キャンプ寝床の身体冷え対策として、マイカー後部座席空間を利用する安心安全睡眠場を確保できるマイカーを手に入れれば、老体を長く維持できる可能性がある。そこでかれこれ10日、あっちこっちの自動車販売店を奔走調査、これから始まる新・山釣りイワナ5カ年計画に耐えられそうな中古4輪駆動車をみつけることができた。
 2015年度、要約、放射線量が落ちつき山の幸安全宣言と相成った矢先、今度は自然災害と天は過酷なノルマを自分に与えた。思えば福島新潟豪雨、1000年に1度の東日本大震災、そそて今回の関東東北豪雨、こんな天災と人災に対して、自然遊悠学はたった一人でその難問と戦ってきた。今後、何が起こるかは不明ながら、まだやりたいことがあるので、ゆっくりのんびり休みながら、目的地に向かってまい進するつもりでいる。
[PR]

by yuuyuugaku-ueno | 2015-11-15 11:26 | 自然遊悠学論
2015年 07月 31日

1196 autodoa前半戦

 2015年度野外活動計画、4月・5月・6月・7月スケジュールは本日で終了する。およそ100日間ぐらいは外で遊んだ。メインは山釣りイワナ、それに山菜摘みを中心に活動する。4月までは順調に天候が推移。けれども5月から6月にかけて極端な日照りが続く。渓流は部分的に干上がり、水生昆虫の成育が悪く、イワナとヤマメの餌不足が影響、魚体のやせ細った渓魚が目立ったおかげで、山釣りイワナは不調に終わる。また山菜も同じく水分不足、やせ細った山菜が多数見かけられた。

7月にはいってから予期せぬ台風の襲来、予定していた個人山釣りイワナ計画はすべてキャンセル。梅雨明けは早かったが、太平洋高気圧の勢力が弱く、安定しない天候が拍車をかけた。なんといってもテスト遡行の際、右足首捻挫が今もautodoaに過大な不安と後遺症が心配のたねになっている。現在、過酷な山釣りイワナは控えている。

とにかく悪夢といってよい前半戦はさほどの成果なく積み残し課題は後半戦autodoaに委ねるしかなかろう。人生何が起こるか定かではないが、のんびり気まぐれautodoaは後半戦に突入する。具体的にはきのこを中心に、前半戦で実施できなかった山釣りイワナを加えて、何とか2015年度autodoaを軌道修正しながら自然遊悠学をまとめる努力は惜しまない。


e0266825_16213665.jpg

前半戦autodoaを源泉かけ流し温泉ですべてチャラになるよう願いたい。
[PR]

by yuuyuugaku-ueno | 2015-07-31 16:25 | 自然遊悠学論
2015年 02月 26日

1051 自然遊悠学2015年度企画まとめ

 4日間における2015年度各教室と新企画プログラムはうまくまとめて無難に終了しました。今年度の特徴として、シーズンの前半戦には山釣りと山菜。後半戦は登山ときのこを当てることにしました。例年に比べて、企画そのものは最小限度、これらは毎年の企画が様々な条件が重なり、実施を見送る結果が多々あった反省から、今年企画立案した教室程度であれば、実行可能な自然遊悠学に課せられた任務を貫徹できる数字であろうと判断した次第です。企画を発表したからには、世間様との約束事を予定どうり果たす義務があり、そのへんは私自身の不徳の致すところであります。以下はジャンル別に今年の自然遊悠学の抱負を述べる。

 登山教室

 血気盛んだった頃、アルピニストを目指す時代があって、私の山行き原点は登山にある。そこでこれまでに経験した登山知識を子供や中高年の人たちへ、実施指導する決意を固めた。「ちびっこ中高年登山塾」がこれに当たり、自然遊悠学の地元にある山、芝草山に登ることにした。地元のロッジ古代村経営、塩野氏とエコビレッジみより経営、七田氏との協賛を得ることができた、初めての登山企画となった。1日目は自然遊悠学における芝草山登山、日程に余裕のある人は2日目にはロッジ古代村、エコビレッジみより、におけるオプション企画があって、楽しい充実した2日間になります。

 山釣り教室

 一般のイワナ釣りを志す釣り人に対して、3本の山釣りイワナ釣行を企画。個性のあるイワナ場を選択してあります。対象者として初心者あるいは中程度の山釣り経験者向きですから、釣り場への遡行は難しくありません。自然遊悠学のモットーとなる「原始林」内での山釣りを楽しめます。これらはイワナ釣りを目的としておりますので、遡行中心の沢登りはここではやりません。そこでイワナ場の中心にキャンプを実施、イワナ釣り三昧を経験できます。

 続・山釣りイワナ5ヵ年計画について
 2015年度からスタートする個人山釣りイワナ企画です。なぜ一般公開しないかとの理由として、計画しているイワナ場への難易度が高く、かなり身の危険が伴う事があって、そのような危ない場所へは参加者をガイドできないからです。また自分自身の山釣りイワナの目標、こだわりが有り、「大滝」の憧れを秘めている。そこに立てるのはごく一部の山釣りイワナ師だけであり、道中遡行の困難さを乗り越えられなければならない。その山釣り遡行に耐えられる新装備を点検中だ。


 きのこ教室

 山釣りイワナを中心に添える、これまでのイワナ釣行を2015年度は捨て去ることの決めた。8月と9月の山釣り日和をなくすのは自分にとって辛いことだ。しかしながら高嶺の花であるマツタケを自然遊悠学支援者へ充分に贈呈する強い決意で松茸殿に挑む。昨年11月にアカマツ尾根調査が終了、マツタケゲット準備は終わっているから、あとはよそ者にマツタケを略奪されないように死に物狂いできのこを物にする。8月のちびっこ中高年登山熟が終わったら、以降、11月までの4ヶ月間はすべてきのこ狩りに費やす。私にはマツタケ師として尊敬する人がいて、その人いわく「マツタケ料理はすきやきが一番」と酔っ払いながら語った友人のことがが今も脳裏に刻まれている。師は先年亡くなり誠に残念だ。そこで新企画として、松茸づくしを今年は実現したいと願っている。


 山野草教室

 およそ10日間、例年に習って個人でのサンショウ摘みは実地する。この間、1日を割いて一般のサンショウ愛好家へ、山ガイドする。終了後、サンショウ佃煮法を伝授する。


 自然遊悠学新企画プログラム

 開山祭

 山の幸収穫前に、山神様を我が家に呼んでシーズンの無事と山の幸豊作を祈願する。


 山神様へ捧げるブナ帯食文化

 旬となった山の幸を一品料理として1ヶ月に1回、山神様へ備える。山の幸を物にする山人には欠かせない行事であったが、現在はその習慣は絶えてしまったので、ここにそれを復活させる。


 年間山行200日、山人たちの集う山の幸感謝祭

 今年も事故無くシーズンを終えた山人たちの四方山話を山神様へ報告。その感謝を込めて一年を締めくくる行事。


痛めた右膝痛

 弁慶の泣き所といってよい自分自身の欠点なのが、古傷である右膝痛だ。これは記憶にあるだけで4回、右膝を激痛が走ったことがある。これまでは若さがあったおかげで、病院通いなどせずにいつの間にか治ってした。それが昨年、檜枝岐、硫黄沢遡行で再び右膝を痛めてしまう。毎度のことながら病院は行かない。歩きながら治すことにした。現在、6割ほどの回復しているが完治はまだだ、というより痛めた右膝痛は自分の人生における、よき相棒となる。それでも日常生活、山菜摘み、きのこ狩り、山釣りにはさほど痛みはない。問題は山釣りイワナにおける難易度の高い沢遡行に対する右膝への負担がどのくらい生じるかだ。沢には4クラスのコースがあり、困難度に応じてA,B、C、D級の山釣りがある。最高に難しいАの場合、泳ぎ、ヘツリ、難しい高巻き、ザイル技術を伴う。それを単独でやらなければ目的地に棲んでいる、重(おも)イワナへの再会はない。2015年度メイン山釣りは7月末だから、今から装備と体力維持に準備を備えなければいけない。甘い考えでは一気に跳ね返されてしまう。それに負けない忍耐で挑まなけれなだめであろう。ただの岩魚情熱だけでは困難には対処できない。それには十分な体力と遡行技術を養わなければ、帰らぬ人になりかねない。1年間における山釣りイワナのハイライトである、1本の有力困難度のきつい沢遡行に挑戦することに並々ならる執念を燃やしている。その実行のため1年間かけて計画が、続・イワナ5カ年計画となってここに誕生した。それは冬期3ヶ月、寒さに耐えながら乗り切り、春から始まる単純極まる山野草摘み、平渓流での山釣りイワナを重ね合わせた結果、どうにかこうにか厳しい渓谷遡行への挑戦権利を山神様から与えられる。今年が終われば次年度の山釣りイワナ計画が出来上がり、きのこ狩りが終われば次なる山釣り、移行されることになる。この繰り返しで、自分の体力と相談しながら、自分で考えているイワナ5ヵ年計画へ私のノルマは課せられる。これから4ヶ月間、正念場はこれからやってくる。
[PR]

by yuuyuugaku-ueno | 2015-02-26 10:31 | 自然遊悠学論
2014年 12月 27日

1007 夢の仙人小屋構想

 年末に当たり私ことでありますが2015年度、六星占術によれば、「立花」という12年期に起こる運気上昇ピークを迎えます。その機会を逃すまいと考慮し、遊悠学バージョンアップ図る、可能性を大きく広げる絶好のチャンス到来。そこで縁あって下野三依地区に居を構えること10年余、夢枕にしばし登場描かれている次なる階段へ踏み込む、必須知恵袋、囲炉裏と薪ストーブのある簡素な山小屋「仙人小屋」手作り施工実行することを決断した次第です。

 夢はまさしく夢のなかで生まれる
 我が身を高揚向上させるため夢は夢で終わらせない
 幻夢を現世させれば人の心は優しくなる

                   神夢偉稔子

e0266825_14422527.jpg

室内温度氷点下2度、自然遊悠学の家。

 自分には妙なクセがあって、誰も考えていない面白い体験sることに異常な興味を覚える。自然の不思議さは多種多様存在し、研究テーマはいくらでもあるのだ。ここまで思考継続している、自然遊悠学の家生活場は知らない人が住んでいた古民家。この家でのインドア悪くないが、空気感は良好ではない。
 これから立ち上げる「仙人小屋」は自然遊悠学の家とは正反対な性格を持ち合わせ、文明の力を使わないランプ小屋生活となります。自給自足的サバイバル体験小屋であって、古き良き時代へタイムスリップする空域があります。それは不便極まる太古への憧れ、自然回帰原点を目指すことも存在してよかろう。こんな空間がある仙人小屋にて我が身を寝転ばせ、大自然を彷彿させながら対峙する。さすれば見えにくい部分の輪郭をおぼろげながら捉えられるかもしれない期待がある。仙人小屋での体験大人の山遊び小屋なのですぞ、、、。

e0266825_144712100.jpg

降雪で埋まる民家。

 ここでは自分自身の手になる理想郷空域感を演出させる。自前の仙人小屋だからこそ新しきものが生まれる可能性を秘めている。以降、この仙人小屋に並々ならぬ情熱を注ぎ込む努力は惜しまない。されど限界集落の一員に加わり原発事故風評被害に苦しみ、たった一人の国民年金生活者でもあるから施工資金調達は知れている。それを補うため、自分で工作する手段に賭けるしかあるまい。

e0266825_1443729.jpg

久しぶりで気合を入れて原稿を書く。
赤入れを加えて10日間かかってしまう。

 仙人小屋完成に至れば、遊悠学ツアー及び誰でも気楽にお立ち寄り休憩可能な、山の幸研究、探索、活動拠点、山語り館を兼ねるベースキャンプ地となります。さすれば皆様を山小屋にご招待ご利用できます。この世のつたなく、やりきれないモヤモヤしたものを追い出し、心の中が空っぽになった部分に、仙人小屋にある新鮮な空気感を埋める作業小屋でもある。

さて来年度いかなる山小屋が出来上がるのか。仙人小屋構想シナリオは自分の頭脳小屋いイメージから具体的な設計図なるものはすでに書き上げてある。建築資材を吟味し、ホームセンター材料費用市場調査と計画は着々と進行中です。

地鎮祭は2015年3月大安日に決めた。

 仙人小屋これからの理想的小屋推移を予想すれば、2015年度施工は第1段階に過ぎない。第2弾、第3弾と長期ビジョンを用意してある。こう宣言してしまえば自分の性格から判断して、小屋づくり一辺道みたいになってしまいそうだが、、、、。ここはこれまでみたいな山釣りイワナを中心にそえる前半期、きのこ研究を試みる中間期、スノーシューと身体ケアをやる1年間を3区切りする、例年と若干異なる軌道修正を実地する。
 自分に課せられた天命はたくさんある。奴隷のごとく無償労働しなければ課題は終わらない。苦労は果てることなく続行される。これが我が人生なのだ。

 人生まじめに暮らしべし
 時には人生を振り返るべし
 馬鹿馬鹿しい人生もまた楽しからずや

             神夢偉稔子

 夢に出てくる幻の仙人小屋にて
[PR]

by yuuyuugaku-ueno | 2014-12-27 14:47 | 自然遊悠学論
2014年 12月 24日

1005  自然遊悠学10大ニュース

1 10年ぶり北海道山釣りイワナ遠征釣行実現する
古い友人、今井亮氏による遠征費用全額負担で聴講できた。しかし大型イワナ場にニジマスを無差別放流されてしまい、天然自生イワナ絶滅状態となり怒り心頭、失望する。

2 4年連続きのこ不作
貴重な現金収入減る。

3 我が家に姉様と本家次女と子供がやってくる
台風襲来で予定していた山遊びキャンセル。天然温泉入湯   、日光グルメ賞味できなかった。

4 大型天然ヤマメ再会する
渓魚との真剣勝負ができるヤマメ釣りは面白い。水中でのヤマメかけひきができた。

5 幻の仙人小屋、建築構想まとまる
念願だった仙人小屋建設が具体化され、現在、自分の頭脳はフル回転中。

6 遊悠学食糧支援カンパ相次ぐ
山の幸収穫に努力し、恩返しいたします。

7 遊悠学ツアー企画、未消化で終わる
世の中との約束でありツアー企画キャンセルが相次ぎ、改めてお詫びいたします。

8 アカマツ自生地調査、終わる
およそ20から30種、アカマツとの共生が成立している。マツタケ、ホンシメジ、シシタケ発生ポイント拡大が期待できる。

9 きのこ祭り、12名参加で盛大な祭りとなる
(株)イケテイ吉田氏の努力で参加人員がでそろう。

10 芸術的天然マイタケ育成成る
10キロに育ったマイタケに感銘する。

今年も事故なく無事に1年が終わりそうです。皆様のご協力ありがとうございます。
 来年も頑張ります。
[PR]

by yuuyuugaku-ueno | 2014-12-24 17:21 | 自然遊悠学論
2013年 12月 26日

678 孤高の思索者

 
 深い山と遠い山
 山というテーマで取り組んでから、かなりの歳月が経過した。この間、山は先生として独学で事に当たる。何度も何度も山の知を求めてひたすら歩く。「これでよかろう」と問題の答えを紐解いてみたものの、知れば知るほど次なる疑問が生じてしまい逆戻り、自然というとてつもない大きさにしばし追い返された。たった一人で山釣りにおけるパイオニアワークを発揮した、飯豊・朝日にこんな言葉が岳人の間でささやかれている。「遠い朝日、深い飯豊」と。この両連峰のイワナ止め滝を求めて2度挑戦し、渓魚の在り処を解明することができた。しかし、ルートを辿ったのは渓谷という1本の線だけであり、自然遊悠学論から申し上げれば、ほんの少しだけ足を踏み入れたに過ぎない。これからの余生で再び3度目のイワナ山釣りにアタックしたいものだ。さすれば線だけはでない面の部分を垣間見たいと願っている。

 三依在住10年
 「石の上に3年」ということわざがある。3年辛抱すれば何とかものになるという意味だ。けれどもこの地に居を構えた3年間を振り返ってみれば、山へ行ったただけで終わる。山を知ることはほとんど皆無、足跡を残すだけであった。どこに何があるのかを知りえたのは10年後、こんなに多大な時間を費やすにいたる。我が家から見渡せる山のすべてを繰り返し登ったた結果、かろうじて会得できた。それはイワナという渓魚を知るために使った「同じ場所に何度も何度も足を運ぶ」同一イワナ場入山からの体験による。この経験から生まれた山の知はこれからの山探索に対して大いなる強い味方となり得る。

 これからの10年
 「50・60は鼻垂れ小僧」だからその小僧期間にやることはかなりある。我が家を中心に東西南北各地山岳地巡行、そこにはまだ知らぬ知があるはずだ。軍資金の許す限り我が夢を実現したい。それは山釣りイワナだったり、初見参高山植物だったり、山野草だったり、薬草だったり、針葉樹だったり、知り得たい情報はいっぱいあるに違いない。とにかくいろいろな場所へ詣でてみたいのである。

 思索考
 お金はないものの天から与えられた時間は死ぬまである。50年余の山旅知識はかなりのもんだ。我が人生を山に賭けたここまでの半生は世間の男どもに比べてかなり強烈、、女房のご機嫌を伺って山へ行くことはないし、子供の心配もない。のんびりゆっくり気まぐれアウトドアをモットーとして、その日暮らしに希望した場所へ何の抵抗もなく行くことができる。自由奔放その日にやることを実施するのみ。年度別に企画した各種野外教室時間を例外として、その他はすべて自分の時間として使用することができる。それが一人身の動きの速さにつながる。「山の生き物と共有する」単独行最大の武器があるから、想像を超える山物語を展開、生命の営みを体験できる良さを備えている。
 私は思考することが好きだ。頭脳で考えることはお金がかからないから面白い。考える場所は寝床だったり山であったり、時間に関係なく思考する。例えば300年間生きることをやっている動くことのできない樹木の生命防御本能場所はどこに存在するのか? 多年草である山野草寿命は何年なのか? など山で考えることの多さにしばし歩みを止めてしまう。一般人がさほど考えない疑問とならない、誰も考えない踏み込まない分野を思考すれば山行は楽しくなる。
 新しい発見があればそれは次の山旅へのステップエネルギーとなる。まだ世の中の人が知らないあるいはさほど知られていない山知識事実に直面すれば、計り知れない快感を得られる。それに山が織り成す自然現象を単独行であれば独り占めできる。最大の喜びのひとつふたつにに「生と死が同居する瞬間」「これをやれば間違いなく死ぬ瞬間」いずれも未踏の岩壁を登攀するクライマーと共通する瞬間が深い思考の中に含まれるのだ。
 一度単独行をやってしまえばなかなかこの世界観から抜けるでることは難しい。気のあった同胞者とのパーティーも悪くないが、やはりここまでやってきた単独行に魅力を感じてしまう。そして孤高の思索者であり続けたいと願っている。 









 
[PR]

by yuuyuugaku-ueno | 2013-12-26 15:22 | 自然遊悠学論