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2014年 03月 31日

725 下野三依界隈

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残雪消えた湿生園。
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降雨と雪シロで増水中の男鹿川。
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ミズバショウ咲く。
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春の使者フキのとう。

 強風雨が一晩続き午後から風は収まる。この雨で残雪はほとんど消えたが高い山はまだかなりの積雪がある。まだ水温は5度、そろそろ暖かくなり水温が10度を超えれば山釣りシーズンがやって来る。
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by yuuyuugaku-ueno | 2014-03-31 14:27 | なんでもござる
2014年 03月 28日

724 山の神

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遠山氏作、山の神。

 昔々であれば、山に入る前に必ずその山方向に祀ってある山の神様に無事帰還を願って猟師はお参りを済ませて入山した。また年頭には初山を迎えるにあたり、最初に山の神へ当年の山からの授かりを願い一同参拝することがしきたりであった。現在、山を糧とした山人はいなくなり、アプローチ入口に安置してある山の神は置き去りにされ、その信仰心は絶えた。
 昨年末、遠山氏自宅にある山の神様を手に入れ、山の神様の御神体を石人信仰にならい、男鹿川河原で拾った丸石を収納し祀った。我が家の居間に山の神は安置、出かける前に気が向けば手を合わせてから出かけるようにしている。
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by yuuyuugaku-ueno | 2014-03-28 15:46 | なんでもござる
2014年 03月 26日

723 温泉

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温泉入湯。

 長い間、お気に入り温泉へ通っている。そこには顔馴染み常連さんがいて会話は弾む。話題は病気のことが多い。なかでも1日2回もやってくる温泉好きの人がいるが、ある時期を境に温泉にやってこなくなった。その人はおせっかい役で、初めてこの温泉に来た人をあれこれ面倒を見ている。「そこは深いからダメ」「2箇所ある湯船のうち、入口温泉はぬるいから、そこで少し温めてから、奥の湯船には入ればよい」とか面倒見が良い人だ。あんなに温泉好きな人が来なくなった理由を聞いた。
 「前立腺ガンだよ」と、もう一人の常連さんが語る。「あの腰が曲ったじさまはどうした」と尋ねれば「その人も病気だ」なるほど年をとれば様々な理由で好きな温泉にやってここなくなる。「83歳の人もかれこれ3年も顔を見ていない。
 いまこの温泉常連さん最高齢は83歳になった遠山氏、マイタケ師匠には出来る限り長生きすることを願っている。その遠山氏、今日は姿を見せないでいる。
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by yuuyuugaku-ueno | 2014-03-26 16:15 | なんでもござる
2014年 03月 24日

722 春到来

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越冬したチョウが活動開始。
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ネコヤナギ開花。
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間もなく花が咲くスイセン。
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フクジュソウ満開。
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by yuuyuugaku-ueno | 2014-03-24 15:31 | おらが風景
2014年 03月 23日

721 三寒四温

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今日は朝から春雪が降る。
暖かかったる寒かったり、天気は確実に春へと移動中。
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by yuuyuugaku-ueno | 2014-03-23 15:25 | なんでもござる
2014年 03月 22日

720 男鹿川

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渓流釣解禁になった男鹿川。
雪シロが入った男鹿川、残念ながら天然イワナは源流と支流の一部にしかすんでいない。
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by yuuyuugaku-ueno | 2014-03-22 15:58 | 岩魚物語
2014年 03月 21日

719 古い友人

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古い友人が犬を連れてやってくる。
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この犬は寒さに弱く、震えていた。
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トイフールドは雪を見て喜ぶ。
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今流行りの前身、コーヒー沸かし器を持ってきてくれた。
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by yuuyuugaku-ueno | 2014-03-21 14:21 | なんでもござる
2014年 03月 20日

718 禁漁期間

 天然イワナやヤマメを渓流で釣る場合、昔々であればいつでも好きなときに渓魚を釣ることができた。現在、渓流にて渓流に棲んでいる自然繁殖でイワナ、ヤマメを釣る際、その渓流を管轄する県別の内水面漁業規則という条例があって、いつでも勝手に渓魚を釣ることはできない。また渓流を管理する漁協なる者たち集団が存在し、自由自在に禁漁区を設定、解禁日まで決めることができる制度があり、解禁日を迎えた渓流師たちに対して迷惑千万といえる足かせを合法的に実施している。
 
 今日は3月20日、栃木県では本日まで渓魚禁漁期間、明日3月21日から天然イワナ、ヤマメを釣ることができる。しかし朝から雨が降っている。それに渓流の山岳地には大量の残雪が残され只今雪シロ中、例年であれば渓流沿いにマイカーが使える林道に積雪があって、釣り場へは徒歩に頼るしかない。特に奥山渓流であれば1メートルを越える雪が渓谷を塞ぎ事実上釣りはできない。おかげで早期に渓流入りを残雪が拒んでくれるから、釣り人の渓魚持ち帰りを防いでくれる。

 いまさら解禁を前日に控えても、若かりしころのようなイワナ熱中時代における待ち望んだ心境はなく、釣り具点検や餌の準備はない。それでも明日からイワナとヤマメを釣ることができることに対してだけは素直に喜びたい。

 今年の山釣りイワナ

 「10尾の養殖イワナより、1尾の天然イワナ。」「足下の渓水を飲めるイワナ場で釣る。」この二大目標は2014年度も踏襲するが、例年に掲げた大型イワナ釣り看板は残念ながら取り外す。大物イワナはこの世に存在しない近年の釣行結果およびイワナ場事情による。それはゲリラ集中豪雨、土砂崩壊が大型イワナ釣り場を襲い、苦労してイワナ移殖放流したイワナ場にかなりのダメージを加えたからだ。数日間に500ミリから800ミリに及ぶ豪雨の前に、逞しいイワナとて生きる術なし。特にゴルジュ、廊下、滝が連続する渓谷には大打撃となり、イワナ消滅が各地に起こっている。自然の猛威はしばしイワナ夢を破壊することがある。そんなイワナ事故に負けることなく、今年も山釣りイワナをやってみる。イワナ希望は捨てないで頑張る。
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by yuuyuugaku-ueno | 2014-03-20 15:20 | 岩魚物語
2014年 03月 19日

717 冬終わる

 「暑さ寒さは彼岸まで。」といわれたとおり、春の彼岸から暖かくなった。今年の冬、シベリア高気圧による大寒波は長く続かず、例年より厳しい冷え込みはなかった。それは氷柱に現れ巨大なツララは発達せず凌ぎやすい冬であった。またストーブ暖房は湯沸かし器の凍結解除に2回使用しただけと国民年金生活者にはありがたい暖冬で家計も助かった。
 下野三依積雪が例年になく多雪だった理由として、関東平野を西から東へと横切る低気圧の影響があり、水分を含んだ重い春雪があったからだ。とにかく無事に冬越えの終わりがやってきたから、年金生活者にとってありがたい冬であった。

 我が家の居間における室内気温を以下に示す。

 12月
 -2度 1回
 -1度 3回
 0度 4回
 1度 8回
 2度 8回
 3度 5回
 4度 2回
 12月は暖かかった。

 1月
 -6度 2回
 -5度 1回
 -4度 5回
 -3度 7回
 -2度 4回
 -1度 6回
 0度 3回
 1度 1回
 2度 2回
 1月は晴れ間が多く、放射冷却があり例年並みの冬となる。

 2月
 -5度 1回
 -4度 3回
 -3度 6回
 -2度 5回
 -1度 3回
 0度 5回
 1度 1回
 2度 0
 3度 4回
 2月10日前後、当年冬一番の寒気団が居座る時期であるが、今年は冬型天気は続かなかった暖冬の冬となる。

 3月、氷点下気温は4回だけ、暖かい3月とななるが、寒暖の差が多々あり老体間じかの自分にとって、身体が不調となり、隣の婆さまの冬風邪を貰い受ける。1週間、のど痛みあり。けれども寝込むことはなかった。貰い物といえば古い友人の食料カンパ、古い友人の母親の形見、それと姉様からの食料定期便、そのおかげで冬が乗り切れた。紙面を借りてお礼申し上げます。もしかしたら植野稔の底力を発揮する努力次第で大金持ちではない小金持ちになる場合だってあり得る。そのときは倍返しの上を行く5倍返しで望む次第だ。
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by yuuyuugaku-ueno | 2014-03-19 13:39 | なんでもござる
2014年 03月 14日

716知の集結その3宗教家

 真言密教の祖、空海

 幼少から青年時代
 
 讃岐の国多度郡屏風ヶ浦(現在の香川県善通寺)、父方佐伯氏母方阿刀氏の三男として西暦774年に幼名真魚(まお)は誕生する。幼いころから仏縁があり、ある日、捨身岳に昇り山頂から天空に向かって身を投げたが、天神が現れ真魚を救い受けたという、7歳ごろの逸話が残っている。
 真魚の神童ぶりは青年期に開眼、新都平城京で学問を習う。けれども世の中の不条理、不平等に対して疑問をもち、一沙門との出会いで虚空像菩薩真言を100万回唱える虚空像求聞持法を習得、この荒行は途中でやめれば発狂あるいは死にいたる修行であり、18歳の青年時代を迎えた空海の出発点となった。
 それからの真魚は私度僧となり世の中の真理を求め四国巡行、阿波、土佐、伊予への旅に出る。24歳、初めての主書「三教指帰」全三巻をわずか18日で書き上げる。それからまもなく修行中、室戸岬の洞窟で一心に求聞持法を修する際、彼方から金星が輝きを増しながら真魚めがけて飛来、その塊は真魚の口の中に飛び込んだのである。また夢の告知が授かり、「久米寺へ」。寺の宝塔にて運命の真言密教経典「大日経」を発見する。

 入唐求法時代

すでに仏教伝来とあいなってはいたものの、宇宙の真理を解く大日如来の教え真言密教は平安時代の高僧とて誰も知りえない神秘な未知なる教えであった。その密教根本経典を久米寺で発見、山岳地を跋渉する私度僧真魚は入唐を決意する。それには都へまいり官僧になるため東大寺へ急ぎ正式に得度、名を空海と改めた。時は804年4月、空海31歳。同年5月、第十六次遣唐使第一船に乗り込み唐へ。瀬戸内海から九州を経て長安へ向かうも大嵐に遭遇、船は西へと流されどうにか大陸に漂着、長安から4000キロも離れた赤岸鎮という僻地だった。余談ながら第二船にはライバル最澄が乗船、第三船と第四船は嵐に負けて沈没した。
 1ヶ月に及ぶ長旅の末、勉学の地である長安明徳門にたどりつく。それからの空海は寝る間も惜しみながら密教の原語である梵語、儒教、道教、景教、イスラム教など世界の文化を吸収する。さらに書の大家・韓方名から書道を学び、漢詩、絵画、音楽にいたるまであらゆる唐の最先端文化を習得した。短期間における修学には私度僧のころ一沙門から学んだ虚空蔵求聞持法を会得した理由による。この荒行を成就すれば一度覚えた知識をけして忘れない記憶術による。
 「優秀な日本人留学僧がいる。」長安の都でうわさとなり宮中の皇帝・順宗に招待されその際、口、両手、両足に5本の筆を持ち一気に5行の書を書き上げた。驚いた帝は即座に「5筆和尚」という称号を授けた。それは一介の留学僧ながら空海の知識人として、けたはずれた優秀さを開示したことによる。
 青龍寺へ
 大日如来の宇宙と自然と人にまつわる真言密教はインドで生まれ東方の中国へと伝承された。その根本道場牙城が青龍寺だ。そこには密教の頂点第七祖恵果阿ジャ梨がいて、空海の来寺を待ちかねていた。入門早々直ちに秘密の儀式、胎蔵界灌頂、金剛界灌頂を授かり両部灌頂および阿ジャ梨位伝法灌頂を合わせて真言密教第八祖32歳空海阿ジャ梨誕生となる。この間3ヶ月、10年はかかるという真言密教のすべてを受け継いだ超人ぶりを発揮した。驚いたのは恵果の弟子たち1000余人、東洋の留学僧にすぎない空海に正式密教のすべてを伝承すれば唐における密教は滅んでしまうと抵抗するも、密教を世界に広めるには空海しかいないと説得した。恵果いわく「これからは遍照金剛と名のり、日本を密教の浄土とせよ」。と早めの帰国を促した。

 密教布教時代

 806年10月、空海33歳、恵果から正系密教のすべてを伝授、日本に密教を広めるため直ちに帰国する。しかしながら留学僧修業期間は20年、この慣例を3年で終えた理由から、本来なら流刑あるいは死刑を言い渡されても不思議でない。日本本土九州田浦上陸後、大宰府にて足止め。この間、朝廷に青龍時恵果から伝授された密教経典142部247巻、蜜具、法具、曼荼羅などを御請来目録としてまとめ朝廷に提出したが、すでに密教は遣唐使船第二船にて入唐した最澄によって公示されていたから、早々の帰国を果たした空海にとって上京は簡単ではなかった。
 平城天皇から嵯峨天皇即位へ、これを契機に空海の都入りが認められた。このとき朝廷内に薬子の乱が勃発、これを鎮めるために空海の密教法力に頼り、鎮護国家安泰を空海に託した。未曾有の神秘密教を会得した空海は不眠不休で国家のため祈祷密教柔術を駆使、たちまち法験は見事具現、乱は平定された。これを契機に嵯峨天皇は空海に対して信を得るにいたる。
 密教浄土建立
 日増しに空海の名声は日本全土に及び、名実ともに仏教界の重鎮となる。けれども一密教僧として驕ることなく一般庶民の平安を願いながら密教浄土具現を目指すのである。このころ密教道場東寺建立、こうして真言宗は確立、さらにたびたび氾濫決壊する讃岐の国、満濃池土木工事修復完成を嵯峨天皇の命を受け、これまで誰も成し遂げなかった満濃池周囲20キロの及ぶを灌漑用水池として復活、それも3ヶ月という短期間工事で帝の期待に応え、庶民からの帰依はさらに深くなる。
 817年空海44歳、密教の根本道場を高野山に決め、空海10大弟子のひとり泰範を高野山建立先遣者として任命、空海が考慮する密教極楽浄土最終地となる山岳霊場を目指す道場建立に着す。なぜ高野山なのかといえば、帰国の際、恵果阿ジャ梨から賜った密教秘具、八祖相伝の三鈷杵(さんこしょ)を明州の港から日本本土に向かって投げ入れた。摩訶不思議、三鈷杵は雲に乗りながら高野山に落下、その実物をこれから真言密教の霊地開山する高野山中にて空海自ら発見した伝説による。


 高野山時代
 
少年真魚のころから山中を闊歩、己とは何か、民衆救済、鎮護国家のために休むまもなく真理を求めて走り続け、その総仕上げの時期がやってきた。830年空海57歳、「秘密曼荼羅十住心論」全10巻、「秘蔵宝ヤク」全3巻を著する。これまでの密教修行大日如来の教えのすべてを集大成し朝廷に提出、「これで都における密教弘道は終わった、山に参る」と高野山へ向かう。
 入定
 832年8月22日空海58歳、高野山根本太塔にて万灯万華会を営む。この際、密教高僧の前で、「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願ひも尽きむ。」と現在の心境を語る名言をのこす。この法会が終われば大日如来究極の教え即身成仏の苦行に入る。この最後の荒行から3年間、水だけ口にするのみ一切の食事は摂らぬ日々が独行され、入定目前に迫れば水分さえ飲まない夜な夜なが続く。
 入定間近い1週間前、弟子たちを自坊に呼び集め、「私は3月21日虎の刻、山に帰る。」と入定日を正確に告げる。さらに私に会いたくば、「南無大師遍照金剛。」と唱えよ、さすればたちまちその者のそばに下り、教えを授ける。空海は嘆き悲しむ高僧を励ます。
 空海の入定は予告通り835年3月21日高野山にて入定、大日如来最終奥義生きながら仏となる、即身成仏を完成させた。享年62歳。

 空海に学ぶ

 空海入定から100年後、時の帝・醍醐天皇は夢枕に空海が現れ、「たかの山むすぶ庵の袖朽ちてコケの下にぞ有明の月」と1首の歌を詠んだ。このような夢の具現で帝から「弘法大師」の諡号を宣下、東寺の観賢に命じて勅書と法会を高野山へ。
 空海ゆかりの地を巡礼する四国八十八ヶ所霊場となって密教民間信仰は今も続けられ、「お大師さん」あるいは「弘法さん」と親しまれ、あわよくが弘法代師のご利益を得ようと巡礼者の老若男女隊列は絶えない。私も同行二人として四国八十八ヵ所巡礼は成就、空海が入定する高野山奥の院に参拝、空海曼荼羅を会得中ながら勉強不足もあって密教真髄を知り得ていない。なぜ曼荼羅なのかといえば、我が生涯を賭けた山釣り岩魚曼荼羅をこの手で描き尽くしたい理由からである。いつの日か最終目的地に到着したいと願っているものの、その前にやらねばならない調査があり、予定では70歳後半からの作業にしたいが、計画はままならない、もしかしたら80歳からにずれ込むかも知れない。
 南無大師遍照金剛。

 空海を知る本

 弘法大師全集
 空海の風景
 大日経
 金剛頂経
 理趣経
 真言密教と曼荼羅
 般和心経秘鍵
 密教のわかる本
 曼荼羅世界の歩き方
 曼荼羅のすべて
 密教のすべて
 十住心論
 真言密教の本
 即身成仏義
 山の宗教
 空海の世界
 秘密曼荼羅世界 

 



 
 



 






 
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by yuuyuugaku-ueno | 2014-03-14 11:34 | なんでもござる