2014年 01月 25日
私たちが今日あるのは先人知識があってこそ生きていることができる。何事においても最初に考え試行錯誤し実行の賜物があったから、世の中の仕組みはできたのだ。以下は知について格闘した尊敬にあたいする巨人たちをとりあげてみる。 登山家 若いころ山岳雑誌、山と渓谷に連載された、新田次郎による孤高の人主人公単独登山家加藤文太郎に憧れ氏の登山スタイルを見習い実施したことがある。例えば冬山登山で丸くなって寝る、甘納豆を持参するなど面白い体験をした。さすがに現代の今ではテント生活から装備まで一新されたこともあって、加藤文太郎流ではなく自分流で山を歩いている。けれどの青春時代にあこがれたことは確かだ。 加藤文太郎以降、登山家で尊敬する人はいないが、80歳になって世界最高峰8878メートル山頂に登頂した三浦雄一郎氏の活躍は立派そのもので、高年齢渓流師や登山者への勇気・模範になった事実が残され、登山界その他一般社会へかなり影響を与えてくれた。 写真家 日本人は大のカメラ好き人類といまさら申し上げることもなかろう。当然、カメラ業界も世界一優れていることはカメラ好き国民性からきている。自宅が貧乏であったにもかかわらず、植野家にはカメラがあった。長女と二男がそれぞれ一台づつ持っていた。それを無断拝借しながら、カメラマン気どりでパチリパチリ写真を撮っていた。 時は流れ舞台は屋久島にある、万代杉撮影をやった。なかなかの自信作に仕上がりパネルにして白黒写真となる。けれどもある日、カメラ毎日(現在は廃刊雑誌)刊頭グラビアを飾ったある写真家の手になる万代杉写真が掲載された。それを見た瞬間、私の写真家の夢は消滅、モチーフのカメラアングル、レンズ選択、周辺の空気感すべてのカメラ分野は自分のカメラアイと比べて勝ってたことにきずく。 写真家の名は土門拳、「鬼の土門」といわれている写真家だ。氏はとっくに天国へ逝ってしまったが、いまだに土門拳を凌ぐ写真家はいない。それから氏の著者を読破し写真を撮る姿勢、リアリズムに徹した土門拳を尊敬し見習った。けれどの写真歴50年を過ぎた今でも、土門拳を上回る写真は撮れないでいる。氏の右に出る写真家はいない、左に出る写真家もいない。 土門拳最晩年、脳梗塞から復活したある日、こんな逸話が残っている。 女人高野といわれた室生寺五重塔撮影の際、リアリズムそのものであった土門が、五重塔化粧する瞬間を持っていた。雪という化粧した室生寺五重塔をラストテーマで撮影に望んだ。「先生雪です。」宿の女将が告げれば、「よし」といって涙を流しながら写真撮影をやった。それからの土門拳は「鬼の土門」から「仏の土門」になったのである。 続く
by yuuyuugaku-ueno
| 2014-01-25 15:58
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