2015年 12月 19日
遠山さんとの最初の出会いは確か2004年ごろだったと記憶している。「せっせとたった一人で山に向かう」この人は70歳ぐらいのじさまだった。自分の山歩きスタイルの大半は単独行、そのせいか妙に親しみを覚えた。何度かの再会があり、「俺は塩原から来た」と、かなり古い4輪駆動車ジムニーでやってきて、当時かなり悪路であった崩壊寸前の林道を危なっかしく運転し、自分が歩いた車道を道路を補修しながら目的地に着いた。「文明の利器車道は徹底的に使うのだ。」名乗りを挙げた男が遠山さんだった。 「山釣りイワナ」という途方もない長く厳しい目的があり、そのために現地調達による山スタイルを実践している自分にとって、山菜、きのこ知識は誰にも負けない自負心でいたのが、遠山さんとの出会いでそれを一変させた。「山菜きのこを現金に変える。」その卓越した自信と能力を備えて山へ日参した男こそ、昭和平成を駆け抜ける山男が遠山さんだった。自分のここまでの山狩りで遠山さんを超える仕事といえば、イワナ釣りぐらいで、それ以外はすべて負けた。こんな人が関東にいること自体、驚きを隠せない存在であった。 春、フキノトウから始まる山菜摘みはワラビと移り、まとまって稼げるサンショウそしてウド、フキを追っかけそれは7月まで続いた。職業としてのプロ意識は徹底され、客の注文に応じて、良品のみを摘み一級品以外、けして手をだすことなく配慮姿勢は同行中何度も拝見した。 夏になればきのこシーズン。ほぼ1ヶ月チチタケ。秋になるとマイタケ狩りだ。このきのこは遠山さんの独断場、およそ1ヶ月120kgを収穫する。しかしマイタケ良品は少なく、ここでも優良マイタケのみを選別するから稼ぎは労働の割には芳しくなかった。このころマツタケがアカマツ林に発生するが、稼げるマイタケを中心に山を歩く。本拠地が塩原温泉であるから、11月に発生するナメコはさほど感心がなく、もっぱら現金収入を得ることが出来る、サルノコシカケを求めてツガ原生林に入る。当時サルノコシカケの制ガン効果が話題になり、きのこ直売所での名物になってかなりの稼ぎとなる。12月から翌年の3月まで、得意の脚力を活かす、クマ狩り勢子に精を出すから1年中、山を歩いた山人であった。 足掛け10年余、暇を見つけて遠山さんに同行、この間、塩原地区の山菜場、きのこ場を余すことなく教えていただき、自分にとってかけがいのない山知識財産」を伝授継承された。一般には知りえない場所に連れっててもらい貴重な山の幸在り処を会得できた体験は大きい。なんといっても山の獲物を金に変える執念姿勢は他の追従を許さず、まさに昭和の怪物山男であった。 遠山さんが亡くなってから2日目、まだ心の整理がつかないでいる。いまいえることは「お疲れ様でした。」そして天国に旅たったからにはそこで「のんびり暮して下さい。」と申し上げて旅たちのご挨拶に代えさせていただきます。 遠山三子 享年84歳
by yuuyuugaku-ueno
| 2015-12-19 15:36
| なんでもござる
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